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一寸法師

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今から5年程前。
九州の某川で、ひとりの男の子と出会いました。
某川をカヌーで下る旅をし、終点となる川岸にその子がいたのです。
人見知りをまったくしない、小学生になったかならないかぐらいの子どもでした。

その子は、上流から流れてくるカヌーを見つけ、急いで川岸へ降りてきたといいます。
そしてぼくが上陸し、カヌーを岸にあげて後片付け作業を始めると、近寄ってきたのです。

「どこからきたと?」
「それは何に使うと?」

こんな質問をたくさんもらい、楽しい会話をしたのを覚えています。
で、最後には「カヌーに乗せて欲しいなぁ」。

大人はけっこういい加減な返事で、その場を誤摩化したりするもの。

「そうかぁ。でも、もうすぐやってくる列車で帰らないといけないから、今度会ったときに乗せてあげるよ」

本気で次に会ったときに乗せようとは、恥ずかしいけれど思っていませんでした。
そもそも、次があるかどうかさえ怪しいものだった。
誰もが思いつく、その場限りの簡単な嘘。


先日、偶然にもそのときの男の子と再会しました。
その子のお母さんが、ぼくの写真展を見に来てくださったのです。
お言葉に甘え、その日の晩は男の子の家に泊まることに。

5年ぶりに会った男の子は、幸か不幸かぼくのことを覚えてなく、カヌーに乗る約束を忘れていました。
それでも立派な少年に成長していたのが、なんだか嬉しかった。
更に嬉しいことに、男の子は「超」のつく“川ガキ”だったのです。

いとも容易く釣針とハリスを結び、ウナギ釣りの仕掛けを簡単に作り、体長80センチを超えるウナギやスッポンを捕まえたことを目を輝かしながら教えてくれました。
そして驚いたことに、「タライ」に乗って川を横断していると、男の子は言います。

さっそく翌日、“一個”ではなく“一艘(いっそう)”と男の子が呼んでいるタライを見せてもらいました。
それはまさに正真正銘の洗濯などで使うプラスティックタライで、川舟と同じくアンカーと呼ばれる錨に紐で結ばれ、川に浮かんでいました。

岸辺へ降りた男の子は、川漁師よろしく柄杓で水をかき出し、慣れた動作で紐を解いていきます。
その姿はまるで網を仕掛けに舟を漕ぎ出す漁師のよう。

そしてテキパキとタライに乗り込んだ男の子はニコニコとぼくに笑い掛け、水面を離れていきました。
長さ1メートルちょっとの竹竿を器用に操り、バランスを崩すことなく、タライは舟となり、男の子は川面の上へ。
竹竿はオールの役目をするのです。

そんな光景を前に、最初は笑っていたのですが、だんだん不思議と感動してきちゃいました。

お母さんいわく、男の子は寝言で時々「タライ」と口にするそうです。
さらに雨が降ると何度も岸辺を見下ろし、タライが流されていないか心配で落ち着かないのだとか。

たかがタライだけれども、男の子にとっては大切な「舟」そのもの。
日本広しといえども、ここまでタライを大事にしているのは、この子だけかもしれません。

ちなみに、ぼくもタライを貸してもらい、乗ってみました。
岸から離れること10センチ。
竹竿を操ろうとしたら大きく揺れ、水がザブンと入り、情けないことにヒャ〜という声をあげてしまいました。
転覆するのではと、顔はたぶんマジだったと思います。
男の子に腹を抱えてゲラゲラ笑われたのは、いうまでもありません。

*旧ブログより*

2004.10/ 7