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国土交通省 殿

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国土交通省 殿

私は五木村田口に住む尾方茂です。
これまで私は、国との間で、権利や移転についての協議を行なってきました。しかし、私の農地に関する希望や、現在の生活において不安に思うことについては、ずっと解決されないままになっています。そのため、私の希望や気持ちを整理して一度伝えるため、本日こうして訪問しました。
解決して下さるよう、どうぞよろしくお願い致します。

川辺川ダム計画ができて、39年の月日が過ぎようとしていますが、毎日の生活の中で、ダム問題は常に私の心の中にあります。「どうなるのだろうか、ダムはできるのだろうか、できないのだろうか」という、不安が長い間あります。
できることなら、私が先祖からうけついできた家や田畑は、このままにしていてほしいと思っています。土地は簡単に売り買いするものではないと、小さいころから教えられてきました。人に迷惑にならない限り、今のままの生活が一番いいと思っています。

わたしが先祖から譲り受けた財産は、わずかなものであるがゆえに、大切に思っています。代替地造成のために5反の農地を手ばなした今、いっそう強く、そう思います。代わりの農地を造成して、早く配分してほしいと思っています。
今の代替地には農地がなく、生活していけるのだろうかと不安に思います。農地のない代替地へ移って、百姓はどうやって生活すればいいのですか。生活の見通しが立たない場所へ移りたくないと思っています。ここなら金が少々なくても、水もお茶も畑もすべてあります。ぜいたくをしない、今の生活が私には一番あっていると思います。

国交省は、新しく人が変わると、あいさつしに来られることがあります。そのたびに、私はまた始めから説明しなければならない。「話は前の担当者から引きついでいる」と言うが、本当に引きついでほしいことが伝わっているのだろうか、というふうにも思います。

国交省が今までに何をしてきたか。行政職員は、住民のために仕事をするのが本来の仕事である。それが、飲み水に使っていた貯水槽を壊してしまったり、裏山の木を切ってしまったり、田口溝ノ口水道の管理をしてやると言いながら、土砂で埋まったままにしていたり、墓地にあった、私の父親が植えた桜の木を全部切ってしまったり。やっていることは、本当に住民第一と言えるのか、分からない。
私に限ったことではない。村に対してもそうではないのだろうか、というふうにも思います。

代替農地についても同じことである。代替農地を造成する時に、私は5反の農地を手ばなした。平成8年ごろだった。田や畑の一枚一枚に、さまざまな思い出があった。調印するとき、国が強引なやり方をしたことを、私はよく覚えています。建設省の職員が私から印かんを借り、そのまま押してしまった。私がその書類を見ようとしても、「見ることはいらん」と、見せてもらえなかった。あまりにひどいやり方なので、腹が立って、県の人に言ったところが、「どうにかしてやる」と言って、農地を造成したあとの配分のことについての覚え書きを作ってくれた。農地が造成されたら、5反分を私に売ってくれるという内容だった。
今では、覚え書で、期限を区切っておれば良かった、という後悔の気持ちもある。いまだに、それがいつのことになるのか、分からないのだから。

ダムができるかできないか、はっきりと分からないうちは、できれば、まだ移転をしたくないというふうに思っています。
ダムを作ることがはっきりと決まれば、仕方ないと思います。どうしても移転をしなければならないのであれば、農地については、お金による補償ではなく、別の農地と交換してほしいと思っています。場所は、今と同じように、自宅から近いところでなければならないと思います。
先日の協議のとき、白坂課長はいろいろなことを話しました。「新しい農地でも作物が作れるように、下の農地の表土を持っていくことを考えている」とか、「今の代替地にある空き地を試験耕作させることも考えている」とか、「完成した代替農地から先に、配分していくことも考えている」とか、いろいろ言われたが、何ひとつ、確実なことはないではないか。私との約束がいつ守られるのか、具体的な時期や場所、広さ、どのようなやり方でやるのかを、きちんと教えてほしいと思っています。

今年4月に、裏山の立ち木が全部切られてしまいましたが、私の家は山のすぐ下にあり、山のなかばあたりには、私が飲み水や生活水として使っている水路、田口溝ノ口水道があります。先日、木がなくなったために土砂が流れ、かかえきれないくらい大きな石が、水路に落ちていました。人を呼んで手伝ってもらって、やっと取りのぞくことができました。これから梅雨や台風が来ると、石や木が流れて落ちてくるのではないかと不安な気持ちを持っています。
ダムができるかできないか分からないうちは、できたら、水没地の木などはそのままにしておいてほしいと思っています。
生活権をおびやかさないでいてほしいと思います。

年をとり、私は目がだんだん見えなくなってきています。私はもうすぐ78歳になります。これから先を考えると、残っている時間は長くはありません。私はこの場所で死んでもよいと思っています。「ダムはできるのだろうか、できないのだろうか、私の将来の生活はどうなるだろうか」と、ずっと考えてきましたが、できたら、残りの時間は、不安のない、おだやかな生活を送りたいとも思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

平成17年5月23日
尾方 茂 
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上記文書は熊本県五木村に暮らす尾方茂さんが書かれたものです。
尾方さんは妻のチユキさんと、川辺川ダム完成後は水没する予定の集落に、いまも暮らしています。

川辺川にダムが計画され、五木村は大きく変化していきました。
かつては村の中心地として栄えた集落も、いまではほとんどの家屋が取り壊され、雑草が寂しく茂る土地が広がっています。
それでも尾方さんは山の上に造成された代替地や他所へ移り住むことなく、山から水をひき、カマドを使い、田を耕し、作物を育て、四季に暮らしを合わせたこれまでと変わらぬ自給自足の生活を続けています。
先祖代々にわたって300年以上、この土地で生活できたのも「土」があったからだと、尾方さんは思っています。

新しい住宅が建ち並ぶ高台の代替地は、尾方さんたちが提供した農地の上に造られました。
肥えた土を埋め立てる造成工事の前、尾方さんはいてもたってもいられず、畑の土を袋へ詰めて持ち帰り、村内の寺で供養してもらったといいます。
そのときの土は、いまも大事に保存されています。
土は将来、造成されるという代替農地へ撒くんだそうです。
しかし、その目処はいまも立っていません。

昨年、尾方さんの自宅は、国交省によって強制収用申請が出されました。

ダムがでけんなら、そっちがよか。
ずっとここで暮らしたかですから。

二年前の冬、柚子が転がる自宅の裏山に腰掛け、尾方がぽつりと言った言葉です。

球磨川最大の支流である川辺川は、本流よりも清らかな水がとうとうと流れています。
この川にダムはいらない、そう思います。

2005.6/ 2