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土砂に埋まる川

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先週、釧路から洞爺湖まで車で移動する途中、二風谷に立ち寄りました。
帯広を抜け、日勝峠を超え、日高で進路を南へと変え、沙流川に沿って車を走らせました。
白い飛沫をあげていた川は、しだいに緩慢な流れとなり、広いダム湖へと姿をかえました。

二風谷ダム湖です。
10年ぶりに眺めるダム湖は、予想以上に土砂が溜まっているように見えました。
広大な“砂場”と言ってもいいかもしれません。
かつてここを流れていた清流の面影は、どこにもありませんでした。

二風谷ダムは、苫小牧東部に開発が予定されていた工業基地で使用する水を得るために、1971年に計画されました。
ダムに与えられた目的は「工業用水確保」であり、それ以外にはなかったはずです。
そして、この工業基地構想は計画当初の用地を確保することもなく中止となり、ダム建設の目的は消失したかに思われていました。

ダム計画地の二風谷はアイヌの人たちが聖地と呼ぶ土地であり、古来からずっとそこに暮らしてきた人々の土地でした。
しかし計画は見直されることなく、事業は進められました。
長良川河口堰と同じく、当初の計画目的が消失しても、目的は次から次へと生み出されていったのです。

ダム計画は中止されることなく、予定地の土地は強制的に国に奪われていきました。
そのやり方に異議を訴え、北海道収用委員会に対して強制収用の裁決の取消を求めた行政訴訟が起こされのは1993年のことです。

そして1997年3月。
ダムの完成翌年に、ひとつの判決が言い渡されました。
ある意味で画期的な判決でした。
「二風谷の土地はアイヌの聖地」として認められただけでなく、被告側の強制収用の違法性をも指摘した判決だったのです。
しかし「既に本件ダム本体が完成し、湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じる」との理由で、ダムの撤去まで含む判決には至らなかった。

原告側の実質的勝訴とはいえ「すでに完成しているから」と、ダムは当初の目的を失った今も沙流川をせき止め続けています。

いったい何のためのダムだったのか。
北海道開発局は「自然にやさしい魚道のあるダム」というパンフレットを配布する前に、もっとやるべき反省すべきことがあるのではないか。
言葉の意味をはき違えているのではないか。
コンクリートで作られた急峻な魚道は、果たして「自然にやさしい」と言えるのだろうか。

ダム下流の川は、茶色に濁った水が流れていました。
ダム湖はいずれ土砂に埋まります。

2005.7/10