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福井新聞社の新春特集号

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昨年末のこと。
大阪の写真展会場で福井新聞社の取材を受けました。
途中昼食を挟みつつ、午前中から始まった取材が終わったのは17時過ぎ。
先方の目的は「川ガキ」だったのですが、川や自然のことなど、けっこう話し込んでしまいました。

その取材の最中。
紙面に掲載する写真を選んでいた女性の記者の方が、そっと涙を流されたのです。
もしかしたらぼくの勘違いかもしれないけれど、その涙に接し、驚くよりも、なんだか嬉しかった。
笑い声が聞こえてきそうな福井の子どもたちの写真を眺め、福井水害の取材や川への想いなど、いろんなことがいっぺんに押し寄せたのかもしれません。

そして今年の元旦に発行された福井新聞社の新春特集号に、川ガキについての記事が3ページに渡って掲載されました。

巻頭に飾られた写真は、福井県を流れる足羽川に生息する川ガキたち。
豪雨水害による深刻な被害を受ける前年に撮影したものです。
記事の内容は新春ということもあってか、水害の悲惨さをルポするようなものではなく、川ガキという“生きもの”をあたたかいまなざしで紹介したものでした。

一面のタイトルは『川ガキ戻ってこーい』。
記事は県内で発生した豪雨水害を振り返った後、このような文章で締めくくられていました。


昨夏の集中豪雨でこの地も大きな被害を受けた。
川ガキの古里は変わり果て、彼らを打ちのめした。
川ガキたちを。
はじけるような笑顔とともに今年の夏は再び戻ってきておくれ。
約束するよ、もう川を放ってはおかないから。

このようなメッセージが県民紙の元旦に掲載されたことに、本当に驚き、感動しました。

豪雨水害後、福井新聞社では「川 生命(いのち)の水脈」取材班による水害特集記事が企画され、現在も一面に掲載され続けています。
現在は第4章となり、先人たちの川に対する知恵を特集。
来月からはいよいよ、ダムにスポットがあたるとのことです。
これら特集記事はいち地域で読まれるだけではもったいないぐらい、すぐれた記事だとぼくは思います。
しかしホームページに公開されておらず、福井県外では読むことが難しいのがとても残念です。

上記の記事は、「紹介記事」のページから見ることができます。

*旧ブログより*

2005.1/26

一寸法師

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今から5年程前。
九州の某川で、ひとりの男の子と出会いました。
某川をカヌーで下る旅をし、終点となる川岸にその子がいたのです。
人見知りをまったくしない、小学生になったかならないかぐらいの子どもでした。

その子は、上流から流れてくるカヌーを見つけ、急いで川岸へ降りてきたといいます。
そしてぼくが上陸し、カヌーを岸にあげて後片付け作業を始めると、近寄ってきたのです。

「どこからきたと?」
「それは何に使うと?」

こんな質問をたくさんもらい、楽しい会話をしたのを覚えています。
で、最後には「カヌーに乗せて欲しいなぁ」。

大人はけっこういい加減な返事で、その場を誤摩化したりするもの。

「そうかぁ。でも、もうすぐやってくる列車で帰らないといけないから、今度会ったときに乗せてあげるよ」

本気で次に会ったときに乗せようとは、恥ずかしいけれど思っていませんでした。
そもそも、次があるかどうかさえ怪しいものだった。
誰もが思いつく、その場限りの簡単な嘘。


先日、偶然にもそのときの男の子と再会しました。
その子のお母さんが、ぼくの写真展を見に来てくださったのです。
お言葉に甘え、その日の晩は男の子の家に泊まることに。

5年ぶりに会った男の子は、幸か不幸かぼくのことを覚えてなく、カヌーに乗る約束を忘れていました。
それでも立派な少年に成長していたのが、なんだか嬉しかった。
更に嬉しいことに、男の子は「超」のつく“川ガキ”だったのです。

いとも容易く釣針とハリスを結び、ウナギ釣りの仕掛けを簡単に作り、体長80センチを超えるウナギやスッポンを捕まえたことを目を輝かしながら教えてくれました。
そして驚いたことに、「タライ」に乗って川を横断していると、男の子は言います。

さっそく翌日、“一個”ではなく“一艘(いっそう)”と男の子が呼んでいるタライを見せてもらいました。
それはまさに正真正銘の洗濯などで使うプラスティックタライで、川舟と同じくアンカーと呼ばれる錨に紐で結ばれ、川に浮かんでいました。

岸辺へ降りた男の子は、川漁師よろしく柄杓で水をかき出し、慣れた動作で紐を解いていきます。
その姿はまるで網を仕掛けに舟を漕ぎ出す漁師のよう。

そしてテキパキとタライに乗り込んだ男の子はニコニコとぼくに笑い掛け、水面を離れていきました。
長さ1メートルちょっとの竹竿を器用に操り、バランスを崩すことなく、タライは舟となり、男の子は川面の上へ。
竹竿はオールの役目をするのです。

そんな光景を前に、最初は笑っていたのですが、だんだん不思議と感動してきちゃいました。

お母さんいわく、男の子は寝言で時々「タライ」と口にするそうです。
さらに雨が降ると何度も岸辺を見下ろし、タライが流されていないか心配で落ち着かないのだとか。

たかがタライだけれども、男の子にとっては大切な「舟」そのもの。
日本広しといえども、ここまでタライを大事にしているのは、この子だけかもしれません。

ちなみに、ぼくもタライを貸してもらい、乗ってみました。
岸から離れること10センチ。
竹竿を操ろうとしたら大きく揺れ、水がザブンと入り、情けないことにヒャ〜という声をあげてしまいました。
転覆するのではと、顔はたぶんマジだったと思います。
男の子に腹を抱えてゲラゲラ笑われたのは、いうまでもありません。

*旧ブログより*

2004.10/ 7

自然のなかで遊ぶということ

“川ガキ”の撮影を本格的に始め、今年で7回目の夏が過ぎました。

この間、たくさんの子どもたちと出会い、話を聞き、ときには一緒に遊び、写真を撮ってきました。
それでも、まだまだ撮り尽くしていないというのが実感です。

身体全体で水辺での遊びを楽しんでいる“川ガキ”の世界を伝えることで、川に関心を持つ人が増えるかもしれない。
撮影を始めた当初は、そう思いました。

でも、いまは別のことを考えるようになりました。
山であれ、海であれ、自然のなかで子どもが遊ぶということは、どういうことなんだろうと。
子どもを巡る暗いニュースに触れるたび、“川ガキ”たちの笑顔を思い出します。
そしてつい、ニュースの先にいる子どもたちと比較してしまう。

なんとなくわかったものもあるけれど、実はわかった気になっているだけかもしれません。
だから来年もまた、各地の川へ出掛けるつもりです。

*旧ブログより*

2004.9/15

なぜ、川ガキなんですか?

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なぜ、川ガキを撮っているのですか?

写真展会場などで、この質問をよく受けます。
移動写真展について書く前に、この“なぜ”について触れたいと思います。

今から15年程前。
ぼくは水面を自由に移動できるカヌーという乗り物に出会い、川で遊ぶ楽しさを知りました。
カヌーでの川旅は、テントや寝袋など必要最小限のものを舟に積み込むところから始まります。
そして自分の腕だけを頼りに、流れへ乗って川を下る。
気に入ったところがあれば上陸し、テントを張る。
のんびりとキャンプする贅沢をも味わう。
それは今まで経験したことのない旅のカタチでした。

カヌーに乗ると、水面から50センチの高さで世の中を眺めます。
視界を占めるのは、川幅いっぱいの流れと、広い空。
日常の視点とは違う、そんな世界もまた魅力です。

川旅を重ねていくうちに、川を「線」として見るようになりました。
ニッポンの川にはダムや堰が至るところにあります。
カヌーで川を下ろうとする者にとっては、その姿を見つけるたびにユウツになります。
ダム自体が障害物となり、川を下れないのです。
またそれが発電用ダムの場合、その下流に水がないことも珍しくはありません。
上流から河口まで、すべての行程を下れる川は意外と少ないのです。

と、いうことに、少しずつ気付いていきました。
計画中のダムや堰に反対する活動へ参加し始めたのは、ちょうどその頃からです。
川がほんとに好きになったのかもしれません。

写真を撮ることが生業になってからは、しぜんと題材にダムや堰などを扱うようになりました。
でも、ふと思ったんです。
共感を得るには、入口は広い方がいいのではないかと。

ぼくのまわりには問題となっているダム事業を理論的に調査し、現場で闘っている方々が「この事業は必要ない」と胸を張って言えるデータを提供する人たちがいます。

役割分担。
と、思っているのは、ぼくだけかもしれませんが。
そしてぼくは“川ガキ”を撮ることを始めたんです。

ぼくの写真を見て、川を身近に感じてくれたのなら、どんなに嬉しいことか。
川が好きになり、気付いて欲しい。
日本の川の現状を。

*旧ブログより*

2004.9/14

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