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昔を思い出してしまいました

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今年5月のこと。
作品撮りを兼ねて徳島へ出掛け、「吉野川まる遊び」に参加してきました。
「吉野川まる遊び」とは吉野川中流にある善入寺島という巨大な中州で毎年開かれる、自由気ままな雰囲気が漂うイベントのことです。
川好きが集まってできた「吉野川シンポジウム実行委員会」という団体が主催し、それぞれの得意分野を発揮しながら今日までイベントが開催されてきました。

河原に着くと懐かしい顔が散らばっていて、おもわず頬が緩みました。
3年前の「川の学校」を卒業した子どもたちが数人参加していたのです。

元気してるかぁ?
大きくなったなぁ〜。
いま、何年生になったの?

などと声を掛け、ボクの身長とそう変わらないぐらいまで成長した子どもたちと再会を喜びました。

その晩。
ゲストとして参加していた野田さんやBE-PAL誌で活躍の雑魚党の方々のトークが終わり、夜も更けてきたころ、焚き火を囲む子どもたちの姿をみつけました。
火のまわりには数人の若いスタッフの姿もあったので、ボクも仲間に入れさせてもらいました。
火遊び自由、消灯時間がないのが自慢のイベントです。

ボクはその場にじっと耳を傾け、子どもたちの会話を楽しんでいました。
ボソボソと他愛もないことを言い合い、小さな笑いがあがったかと思うと、シーンと静かになり、火のはじける音が耳に心地よかった。

あれは何時ぐらいのことだったのだろう。
焚き火を囲んでいた人数は、大人はぼくと女性スタッフの2名までに減り、子どもは女の子ひとりとふたりの男の子だけになりました。
河原は虫の音がよく聞こえるほど静まり返り、ほとんどの人が寝床についているようでした。
もうそろそろ寝ないと明日がやばいね、そんな雰囲気が漂い始めたころ、ひとりの男の子が立ち上がり、女の子にそっと声を掛けたのです。

「川を見に行かないか」

声を掛けられた女の子はしぜんな仕草で立ち上がり、ふたりは焚き火から離れ、暗い川岸のほうへ行ってしまいました。

誘われた女の子は性格ルックスともに男性スタッフから一番人気のあった子で、彼が彼女を誘うなんて。
その上、さらに一緒に行っちゃうなんて。
青春劇を目撃し、ぼくはジーンと来てしまったのです。

で、取り残されたボクらは、彼らが気になってしまい、ちゃんと帰ってくるのかなぁ、もしかしたらそのままどこかに寝転ぶのかなぁ、手を握っているかなぁ、なんてことばかり頭に浮かんできて、焚き火から離れられなくなったのでした。

2005.7/11

土砂に埋まる川

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先週、釧路から洞爺湖まで車で移動する途中、二風谷に立ち寄りました。
帯広を抜け、日勝峠を超え、日高で進路を南へと変え、沙流川に沿って車を走らせました。
白い飛沫をあげていた川は、しだいに緩慢な流れとなり、広いダム湖へと姿をかえました。

二風谷ダム湖です。
10年ぶりに眺めるダム湖は、予想以上に土砂が溜まっているように見えました。
広大な“砂場”と言ってもいいかもしれません。
かつてここを流れていた清流の面影は、どこにもありませんでした。

二風谷ダムは、苫小牧東部に開発が予定されていた工業基地で使用する水を得るために、1971年に計画されました。
ダムに与えられた目的は「工業用水確保」であり、それ以外にはなかったはずです。
そして、この工業基地構想は計画当初の用地を確保することもなく中止となり、ダム建設の目的は消失したかに思われていました。

ダム計画地の二風谷はアイヌの人たちが聖地と呼ぶ土地であり、古来からずっとそこに暮らしてきた人々の土地でした。
しかし計画は見直されることなく、事業は進められました。
長良川河口堰と同じく、当初の計画目的が消失しても、目的は次から次へと生み出されていったのです。

ダム計画は中止されることなく、予定地の土地は強制的に国に奪われていきました。
そのやり方に異議を訴え、北海道収用委員会に対して強制収用の裁決の取消を求めた行政訴訟が起こされのは1993年のことです。

そして1997年3月。
ダムの完成翌年に、ひとつの判決が言い渡されました。
ある意味で画期的な判決でした。
「二風谷の土地はアイヌの聖地」として認められただけでなく、被告側の強制収用の違法性をも指摘した判決だったのです。
しかし「既に本件ダム本体が完成し、湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じる」との理由で、ダムの撤去まで含む判決には至らなかった。

原告側の実質的勝訴とはいえ「すでに完成しているから」と、ダムは当初の目的を失った今も沙流川をせき止め続けています。

いったい何のためのダムだったのか。
北海道開発局は「自然にやさしい魚道のあるダム」というパンフレットを配布する前に、もっとやるべき反省すべきことがあるのではないか。
言葉の意味をはき違えているのではないか。
コンクリートで作られた急峻な魚道は、果たして「自然にやさしい」と言えるのだろうか。

ダム下流の川は、茶色に濁った水が流れていました。
ダム湖はいずれ土砂に埋まります。

2005.7/10

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