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フォトエッセイ『川ガキ』が発売!

川ガキ』発売!

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川ガキを撮り始めて十数年。
いよいよフォトエッセイとして飛鳥新社から発売されました。
これまで出会った川ガキとのエピソードを写真を交えて紹介しています。
定価は1,575円(税込)で、オールカラーページ。
夏を感じたい方は、ぜひ!

2012.7/19

新・更新滞って…

今夜、「kawagaki.net」のサイト内を更新しました。
あまりにも久しぶりに覗いたので、いろんなことを忘れていて、少しだけの更新にも関わらずかなりの時間を有してしまった事態に。
各地へ旅してばかりいたら、いつのまにか夏まっただ中だったことに気付き、こうしておられないと、またしばらく更新が滞るかもしれませんが、これからも本サイトをどうぞ宜しくお願いいたします。

村山嘉昭

2008.8/10

更新滞って…

教育基本法に関するニュースが新聞等の片隅を賑わせているけれど、ほんとうにいま改正する必要があるのだろうか?
この改正のきっかけは、数年前の森内閣時のこと。
4/14発行の朝日新聞や毎日新聞や産経新聞などの社説を読んだけど…
自民公明が合意した教育基本法改正案には、義務教育の年数が削除されているとか。
なんで?

2006.4/15

ベトナムの“川ガキ”

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2006年の元旦は、ベトナムにあるカントーという街で迎えました。
この街はメコンデルタ最大の都市でありながら、メコン川をはじめ、数え切れないほどのクリークが存在し、暮らしのなかに存在感を持って「川」が生きている街だと言えるかもしれません。
できることなら、移り住んでもいいな。と、思ったほど、カントーに滞在した数日はとても充実とし、得るものが多かった旅となりました。
折りをみて、この街で見たこと、感じたことを記したいと思います。

2006.1/19

『時代だから』っていうけれど…

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昨日、知人に誘われ、ホームパーティーへ参加しました。
独身者はぼくのほか少数で、ほとんどが既婚者で子どものいる方たち。
親と一緒に来た子どもたちと遊び、ひさしぶりに子どもたちの世界を味わいました。

子どもを狙った犯罪が多発し、それを伝えるニュースに触れるたび、ぼくら大人たちの責任について考えます。
また、そんな状況にある子どもたちのことも考えずにはいられません。
小学校へもスクールバスを導入し、すべての子どもたちに防犯ブザーを持たせることが、安心して暮らせる社会の姿ではないはず。
なるべく管理をしない方向でいけるのなら、それにこしたことはない。
でも、でも、でも。
なんでこんな社会になってしまったのだろう。
答えのない問いを日々考えています。

2005.12/20

なさい星人

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「地球のたまご」での写真展設営のため、浜松へ向かったときのこと。

朝7時に東京駅を発った新幹線車内では爆睡。
静岡駅に停車し、車内が騒がしくなったことで、やっと目覚めました。
でも、まだまだ身体は寝ボケ状態。
再び眠り込んでしまわないように、耳に付けていたイヤホンを外してiPodを仕舞い、なんとはなしに車内に充満する賑やかな話声を聞いていると、通路を挟んだ隣席の声がひときわ目立っているのに気付きました。

隣席に座っていたのは、小さな男の子と女の子と母親の3人。
気になった声の正体は子どもではなく、母親のものでした。

「ペットボトルをちゃんと持ちなさい」
「ちゃんと座りなさい」
「よしなさい」
「やめなさい」
「〜なさい。〜なさい。〜なさい」

母親は1分間に何度も「〜なさい」という言葉を口に出し、その言葉は途切れることなく続きました。
男の子は無邪気なもので、何回も「〜なさい」と言われても、新幹線の旅に興奮し、楽しくて仕方ないって感じ。
ぼくには、子どもたちがちゃんと座っていたように見え、ペットボトルを持っているように見えたんだけどなぁ。
ペットボトルのことで注意された女の子は、少し怒ったような顔で「もういらない」とふてくされていたようでした。

嫌でも聞こえてくる注意や命令を促す言葉のオンパレードに、こちらまでもが気分が悪くなってきます。
「あの〜、一番うるさいのはお母さんなんですけど」と、口に出掛けたところで浜松駅が近いとの車内アナウンス。
日常的に抑制されて生きていくのって、けっこう辛いよなぁ。

2005.9/ 6

40年目の夏の日に

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本日、熊本県を流れる川辺川に建設が進められているダム事業を巡って、大きな動きがありました。

川辺川ダム建設にあたり、国土交通省が水没地域の土地及び漁業権の強制収用手続きを申請していた熊本県収用委員会が、本日の審理で「裁決申請の取り下げ」を国土交通省に対して勧告したのです。

そして更に「取り下げの期限を9月22日までとして、国土交通省がそれまでに取り下げない場合は次回の審理(9月26日)で審理を終結し、そのあと却下の裁決を郵送する」と通告を行ったのです。

国土交通省の前身である建設省時代も含め、国家による大規模公共事業の強制収用手続きに“ノー”という判断が下されるのは初めての出来事ではないでしょうか。
極めて異例といってもいいかもしれません。
審理開始から3年半近く経ての今回の県収用委員会の決断に、深く敬意を表します。

本日の審理の結果、国土交通省には「取り下げ」か「却下裁決」かという2つの選択肢しかありません。
計画が発表されてから40年という月日が流れ、過ぎ去った時代と共に川辺川ダム計画の目的は消失し、ダムに代わる治水案も提案されています。

国土交通省は勧告にしたがって申請を取り下げ、そして川辺川ダム計画の中止を選択するべきだと、ぼくは強く思います。
そして、そのような結果をぼくは強く求めます。

英断を期待しています。

2005.8/29

子どもの好奇心

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無事に迎えた写真展初日のこと。
水路で遊ぶ子どもたちに交ざって、ぼくも靴を脱いで川へ入り、魚を採ったりして遊びました。
ヌマエビやメダカ、鮎などを捕まえては、子どもたちに手渡して握らせてみたり。
ほら、面白いでしょ。
と、語りかけるまでもなく、子どもたちは夢中になって魚を追ってました。

子どもの頃は、遊びの途中で「穴」を見つけると、必ずのぞき込んでいたのではないでしょうか。
木に空いた穴や岩の隙間を見つけるたびに、くすぐられた好奇心。
何か面白いものがあるのではと、期待に胸を膨らませ、のぞき込んだあの頃。
今回の展示方法は、観覧者が行動を起こすことで、はじめて写真を見ることができます。
それは水路に潜む魚を探す行為と、よく似ています。

2005.8/ 5

ご来場、感謝

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今夜、神戸三宮にある「パタゴニア神戸ストア」で川ガキのスライドトークを行いました。
金曜日夜8時過ぎのスタートにもかかわらず、30人近い方が足を運んでくださり、本当に感謝しています。
完璧とはいえない内容だったかもしれませんが、笑う方あり、涙ぐむ方あり、短い時間ではありましたが、ぼく個人としては満足しています。
足を運んでくれた方々に、あらためてお礼申し上げます。

夏は始まったばかり。
今夏はぜひぜひ、川へ出掛けてみてください。
そして実際に川のなかへ入り、川エビを捕まえてみてください。
子どもの頃を思い出し、ドキドキとする興奮と好奇心を全開にして。

川ガキのスライドを見てもらいながら、夏を感じてもらいたい。
と、いうパタゴニアスタッフの想いから、今夜のスピーカーシリーズでは参加者全員にラムネの差し入れもありました。
準備受け入れをしていただいたスタッフの方々にも感謝!
今夜の続きは川で!

2005.7/29

17年目の長良川

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岡山での一泊二日取材を終え、夕方に帰宅しました。

さて、ぼくは革靴からビーチサンダルに履き替え、これから長良川へ出掛けます。
夜行バスに乗るのは、本当に久しぶりです。
新宿発23:10、新岐阜着5:30。
明朝には長良川上流にある郡上八幡に列車を乗り継ぎ到着します。
河口堰の起工式から17年目の長良川をカヌーで下るのが目的です。

17年前。
"川はつながっている"と知ってもらうために、長良川の源流から河口まで身体ひとつで泳ぎ下り、身体を張って「日本に唯一ダムのない川・長良川」をアピールした人がいます。
フォト・エコロジストで魚類研究者の新村安雄さんです。

ここから河口堰に反対する新しい運動が始まった、といっても過言ではありません。
その新村さんが再び川を下ると聞き、参加させていただくことになったのです。

ぼくは野田さんの書籍と出会って川へ関心を持ち、新村さんと出会って川を見る目を知りました。

そしてぼく自身、写真を撮るだけでなく紙メディアに川のことなどを発表することが増え、肩書きに「フォトエコロジスト」と名乗るようになったです。

いまでも新村さんに「同じ肩書きを使わせていただいてもいいですか」と緊張しながら電話を掛けたことを覚えています。

長良川にゲートが下ろされ、今年で10年。
この間、川はどのように変化したのか。

川を下り、写真を撮り、水中を眺め、海を目指そう。
そして起工式があった日に、改めて河口堰を前に抗議の声をあげようじゃないか。
と、新村さんに声を掛けられたら、参加しないわけにはいきません。

「カメラマンと研究者は常にフロントに立つ」とは、新村さんの言葉です。
さて、そろそろ時間です。いってきます。

新村さんのブログ「リバーリバイバル」はこちら

2005.7/22

いよいよ始まりました。

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「アクアマリンふくしま」での写真展が始まりました。
ちょうど梅雨も明け、夏本番となっての開催。
トラベリング・ギャラリーと名付けた写真展も今年で3年目を迎え、これまでとは違う展示を心がけたつもりです。
一年近く準備期間を設けたのも初めての体験でした。
まだ草木が成長していないビオトープを歩き、「さあ、ここでどんな展示をしようか」とアイデアを思い巡らし、友人と会っては自分のプランを話し、客観的な意見を聞いて回ったりしたのも、いまとなっては懐かしい思い出です。

オープニングを迎え、写真展はボクの手を離れ、これからはビオトープへ足を踏み込んだ方々のものになりました。
いったいどんな反応があるのだろうと、期待で胸を膨らませています。

もし機会があれば、ぜひ会場に足をお運びください。
そして写真展をご覧になった感想などをこちらのページでコメントしてくださると嬉しいです。
どうぞ宜しくお願いいたします。

2005.7/22

リーフレット

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今夏、「アクアマリンふくしま」にて配布される写真展リーフレットが刷り上がりました。
デザインしていただいたのは、今回も渡邊@axeraさん
なんと3万部も刷ってしまいました。
こんなにたくさん刷ったのは川ガキ写真展始まって以来、はじめてのことです。

表(PDF 1.4MB)
裏(PDF 1.2MB)

2005.7/13

写真展の展示設営

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今月15日から始まる「アクアマリンふくしま」での写真展設営のため、福島県小名浜へ出掛けてきました。
水族館入口横には幅9メートル×高さ6メートルの川ガキ写真が掲げられ、写真のなかの子どもたちが来館者をニコニコと迎えてくれていました。
大きな声で喜びの声を出したいほど、すごくイイ感じの写真展になる予感でいっぱいです。
自画自賛過ぎますが、ぼく自身こんなスタイルの写真展を見たことがありません。

福島県浜通りの水辺環境を再現したビオトープが、今夏の川ガキ写真展の舞台です。
写真展会場に設置された"写真を取り付ける支柱"のほか、ぼくらが"箱メガネ型展示物"と呼んでいる箱にいたるまで、どれも素晴らしい出来で感激しました。
こちらの意図を正確に把握し、制作してくれたのです。

今回の展示作品の施工は名古屋に本社のある「アクアート」が引き受けてくださり、この日も名古屋から打ち合わせ窓口になってくれていた大蔵さんが駆けつけていただき、作業は順調に進みました。

この素晴らしい場所で写真展を開催する機会を与えてくれた「アクアマリンふくしま」のみなさん、そしてこれまで「川ガキ写真展」に関わっていただいたすべての人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にメチャクチャ感謝してるよ〜

力いっぱいに投げたボールが見事ストレートに決まったときの興奮を味わい、久しぶりに感動しました。
想像以上の出来といってもいいかもしれません。
ぜひ、遊びに来てください。

2005.7/11

昔を思い出してしまいました

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今年5月のこと。
作品撮りを兼ねて徳島へ出掛け、「吉野川まる遊び」に参加してきました。
「吉野川まる遊び」とは吉野川中流にある善入寺島という巨大な中州で毎年開かれる、自由気ままな雰囲気が漂うイベントのことです。
川好きが集まってできた「吉野川シンポジウム実行委員会」という団体が主催し、それぞれの得意分野を発揮しながら今日までイベントが開催されてきました。

河原に着くと懐かしい顔が散らばっていて、おもわず頬が緩みました。
3年前の「川の学校」を卒業した子どもたちが数人参加していたのです。

元気してるかぁ?
大きくなったなぁ〜。
いま、何年生になったの?

などと声を掛け、ボクの身長とそう変わらないぐらいまで成長した子どもたちと再会を喜びました。

その晩。
ゲストとして参加していた野田さんやBE-PAL誌で活躍の雑魚党の方々のトークが終わり、夜も更けてきたころ、焚き火を囲む子どもたちの姿をみつけました。
火のまわりには数人の若いスタッフの姿もあったので、ボクも仲間に入れさせてもらいました。
火遊び自由、消灯時間がないのが自慢のイベントです。

ボクはその場にじっと耳を傾け、子どもたちの会話を楽しんでいました。
ボソボソと他愛もないことを言い合い、小さな笑いがあがったかと思うと、シーンと静かになり、火のはじける音が耳に心地よかった。

あれは何時ぐらいのことだったのだろう。
焚き火を囲んでいた人数は、大人はぼくと女性スタッフの2名までに減り、子どもは女の子ひとりとふたりの男の子だけになりました。
河原は虫の音がよく聞こえるほど静まり返り、ほとんどの人が寝床についているようでした。
もうそろそろ寝ないと明日がやばいね、そんな雰囲気が漂い始めたころ、ひとりの男の子が立ち上がり、女の子にそっと声を掛けたのです。

「川を見に行かないか」

声を掛けられた女の子はしぜんな仕草で立ち上がり、ふたりは焚き火から離れ、暗い川岸のほうへ行ってしまいました。

誘われた女の子は性格ルックスともに男性スタッフから一番人気のあった子で、彼が彼女を誘うなんて。
その上、さらに一緒に行っちゃうなんて。
青春劇を目撃し、ぼくはジーンと来てしまったのです。

で、取り残されたボクらは、彼らが気になってしまい、ちゃんと帰ってくるのかなぁ、もしかしたらそのままどこかに寝転ぶのかなぁ、手を握っているかなぁ、なんてことばかり頭に浮かんできて、焚き火から離れられなくなったのでした。

2005.7/11

土砂に埋まる川

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先週、釧路から洞爺湖まで車で移動する途中、二風谷に立ち寄りました。
帯広を抜け、日勝峠を超え、日高で進路を南へと変え、沙流川に沿って車を走らせました。
白い飛沫をあげていた川は、しだいに緩慢な流れとなり、広いダム湖へと姿をかえました。

二風谷ダム湖です。
10年ぶりに眺めるダム湖は、予想以上に土砂が溜まっているように見えました。
広大な“砂場”と言ってもいいかもしれません。
かつてここを流れていた清流の面影は、どこにもありませんでした。

二風谷ダムは、苫小牧東部に開発が予定されていた工業基地で使用する水を得るために、1971年に計画されました。
ダムに与えられた目的は「工業用水確保」であり、それ以外にはなかったはずです。
そして、この工業基地構想は計画当初の用地を確保することもなく中止となり、ダム建設の目的は消失したかに思われていました。

ダム計画地の二風谷はアイヌの人たちが聖地と呼ぶ土地であり、古来からずっとそこに暮らしてきた人々の土地でした。
しかし計画は見直されることなく、事業は進められました。
長良川河口堰と同じく、当初の計画目的が消失しても、目的は次から次へと生み出されていったのです。

ダム計画は中止されることなく、予定地の土地は強制的に国に奪われていきました。
そのやり方に異議を訴え、北海道収用委員会に対して強制収用の裁決の取消を求めた行政訴訟が起こされのは1993年のことです。

そして1997年3月。
ダムの完成翌年に、ひとつの判決が言い渡されました。
ある意味で画期的な判決でした。
「二風谷の土地はアイヌの聖地」として認められただけでなく、被告側の強制収用の違法性をも指摘した判決だったのです。
しかし「既に本件ダム本体が完成し、湛水している現状においては、本件収用裁決を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生じる」との理由で、ダムの撤去まで含む判決には至らなかった。

原告側の実質的勝訴とはいえ「すでに完成しているから」と、ダムは当初の目的を失った今も沙流川をせき止め続けています。

いったい何のためのダムだったのか。
北海道開発局は「自然にやさしい魚道のあるダム」というパンフレットを配布する前に、もっとやるべき反省すべきことがあるのではないか。
言葉の意味をはき違えているのではないか。
コンクリートで作られた急峻な魚道は、果たして「自然にやさしい」と言えるのだろうか。

ダム下流の川は、茶色に濁った水が流れていました。
ダム湖はいずれ土砂に埋まります。

2005.7/10

雨鱒の川

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雨鱒の川・川上健一著・集英社文庫刊

『青春小説』や『初恋小説』というくくりで語られる「雨鱒の川」ですが、この小説はまぎれもなく『川ガキ小説』といえるのではないでしょうか。

川の描写はもちろんのこと、水中の魚のことやそのまわりに広がる自然のこと、水面を照らす太陽の輝きや風の動きの描写も特筆に値するのですが、何よりも魚を捕る少年たちの心の動きが見事に表されているのです。

ここまで自然のことを描写できる川上さんはすごい!

川面を渡る風って、こうなんだよね〜。
夏の太陽に照らされる感じって、こんなんだよなぁ〜。
と、ひとつひとつの文章を抜き出して紹介したいぐらいすばらしい文章が、この小説のなかには散りばめられています。
お薦めです。

2005.7/ 9

スライド&トークのお知らせ

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7月29日(金)の午後8時から、神戸・三宮にある「パタゴニア神戸ストア」にて、これまで各地で撮影した「川ガキ」のスライド写真を見ていただくイベントを行います。
題して「遊びに行きたい川ガキのいる川 〜 川ガキから見るニッポンの川」。

写真を交えて、川ガキのこと、川ガキの棲む川のこと、ニッポンの川のことなどをお話したいと考えています。

定員50名で、要予約とのこと。
お問い合わせ&予約は、パタゴニア神戸ストアまで宜しくお願いいたします。

また同ストアに、熊本県を流れる川辺川の写真を数点展示いたします。
展示期間は、7月20日(水)から8月7日(日)まで。
昨年開催した写真展で好評だった「夏。夜明け前の青い川辺川」も展示いたします。
ぜひお近くの方は足を運ばれてみてください。

パタゴニア神戸ストア
兵庫県神戸市中央区伊藤町108番地ダイヤ108
Tel:078-334-7117 Fax:078-334-7118
営業時間:午前11時から午後7時まで

2005.6/12

BE-PAL・7月号掲載のお知らせ

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本日発売の月刊誌「BE-PAL・7月号(小学館刊)」に、ぼくがこれまで各地で撮影した川ガキ写真が掲載されています。
題して『「川ガキ」が棲む清流ベスト10』。
また、この特集の後にはカヌーイスト・野田知佑さんの連載特別編『正しい「川ガキ」の育て方』というエッセイが続いています。
このエッセイのなかで野田さんは、5年前に四国・吉野川に開校した「川の学校」に触れ、こう書いています。

これまで120人の子供が川ガキ養成講座を卒業した。時々彼らから手紙が来る。「この頃は川の近くを通ると川をのぞきこむようになりました。魚が見えれば嬉しいし、川が汚れていると、なぜこの川は死んだのだろう、と考えます」 この子供らが大きくなった時が楽しみだ。50年後には1500人の強力な川人間が生まれている。その頃ぼくはもうこの世にいないが、彼らが川を壊す者に対抗する大きな勢力になっているもの、と考えたい。

川のことを知るには、特別なことをする必要はありません。
ただそこで遊べばいいのです。遊びを通じて、川のことを好きになり、知っていけばいい。
そう思います。
大人も子供も、いざ川へ。

2005.6/10

国土交通省 殿

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国土交通省 殿

私は五木村田口に住む尾方茂です。
これまで私は、国との間で、権利や移転についての協議を行なってきました。しかし、私の農地に関する希望や、現在の生活において不安に思うことについては、ずっと解決されないままになっています。そのため、私の希望や気持ちを整理して一度伝えるため、本日こうして訪問しました。
解決して下さるよう、どうぞよろしくお願い致します。

川辺川ダム計画ができて、39年の月日が過ぎようとしていますが、毎日の生活の中で、ダム問題は常に私の心の中にあります。「どうなるのだろうか、ダムはできるのだろうか、できないのだろうか」という、不安が長い間あります。
できることなら、私が先祖からうけついできた家や田畑は、このままにしていてほしいと思っています。土地は簡単に売り買いするものではないと、小さいころから教えられてきました。人に迷惑にならない限り、今のままの生活が一番いいと思っています。

わたしが先祖から譲り受けた財産は、わずかなものであるがゆえに、大切に思っています。代替地造成のために5反の農地を手ばなした今、いっそう強く、そう思います。代わりの農地を造成して、早く配分してほしいと思っています。
今の代替地には農地がなく、生活していけるのだろうかと不安に思います。農地のない代替地へ移って、百姓はどうやって生活すればいいのですか。生活の見通しが立たない場所へ移りたくないと思っています。ここなら金が少々なくても、水もお茶も畑もすべてあります。ぜいたくをしない、今の生活が私には一番あっていると思います。

国交省は、新しく人が変わると、あいさつしに来られることがあります。そのたびに、私はまた始めから説明しなければならない。「話は前の担当者から引きついでいる」と言うが、本当に引きついでほしいことが伝わっているのだろうか、というふうにも思います。

国交省が今までに何をしてきたか。行政職員は、住民のために仕事をするのが本来の仕事である。それが、飲み水に使っていた貯水槽を壊してしまったり、裏山の木を切ってしまったり、田口溝ノ口水道の管理をしてやると言いながら、土砂で埋まったままにしていたり、墓地にあった、私の父親が植えた桜の木を全部切ってしまったり。やっていることは、本当に住民第一と言えるのか、分からない。
私に限ったことではない。村に対してもそうではないのだろうか、というふうにも思います。

代替農地についても同じことである。代替農地を造成する時に、私は5反の農地を手ばなした。平成8年ごろだった。田や畑の一枚一枚に、さまざまな思い出があった。調印するとき、国が強引なやり方をしたことを、私はよく覚えています。建設省の職員が私から印かんを借り、そのまま押してしまった。私がその書類を見ようとしても、「見ることはいらん」と、見せてもらえなかった。あまりにひどいやり方なので、腹が立って、県の人に言ったところが、「どうにかしてやる」と言って、農地を造成したあとの配分のことについての覚え書きを作ってくれた。農地が造成されたら、5反分を私に売ってくれるという内容だった。
今では、覚え書で、期限を区切っておれば良かった、という後悔の気持ちもある。いまだに、それがいつのことになるのか、分からないのだから。

ダムができるかできないか、はっきりと分からないうちは、できれば、まだ移転をしたくないというふうに思っています。
ダムを作ることがはっきりと決まれば、仕方ないと思います。どうしても移転をしなければならないのであれば、農地については、お金による補償ではなく、別の農地と交換してほしいと思っています。場所は、今と同じように、自宅から近いところでなければならないと思います。
先日の協議のとき、白坂課長はいろいろなことを話しました。「新しい農地でも作物が作れるように、下の農地の表土を持っていくことを考えている」とか、「今の代替地にある空き地を試験耕作させることも考えている」とか、「完成した代替農地から先に、配分していくことも考えている」とか、いろいろ言われたが、何ひとつ、確実なことはないではないか。私との約束がいつ守られるのか、具体的な時期や場所、広さ、どのようなやり方でやるのかを、きちんと教えてほしいと思っています。

今年4月に、裏山の立ち木が全部切られてしまいましたが、私の家は山のすぐ下にあり、山のなかばあたりには、私が飲み水や生活水として使っている水路、田口溝ノ口水道があります。先日、木がなくなったために土砂が流れ、かかえきれないくらい大きな石が、水路に落ちていました。人を呼んで手伝ってもらって、やっと取りのぞくことができました。これから梅雨や台風が来ると、石や木が流れて落ちてくるのではないかと不安な気持ちを持っています。
ダムができるかできないか分からないうちは、できたら、水没地の木などはそのままにしておいてほしいと思っています。
生活権をおびやかさないでいてほしいと思います。

年をとり、私は目がだんだん見えなくなってきています。私はもうすぐ78歳になります。これから先を考えると、残っている時間は長くはありません。私はこの場所で死んでもよいと思っています。「ダムはできるのだろうか、できないのだろうか、私の将来の生活はどうなるだろうか」と、ずっと考えてきましたが、できたら、残りの時間は、不安のない、おだやかな生活を送りたいとも思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

平成17年5月23日
尾方 茂 
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上記文書は熊本県五木村に暮らす尾方茂さんが書かれたものです。
尾方さんは妻のチユキさんと、川辺川ダム完成後は水没する予定の集落に、いまも暮らしています。

川辺川にダムが計画され、五木村は大きく変化していきました。
かつては村の中心地として栄えた集落も、いまではほとんどの家屋が取り壊され、雑草が寂しく茂る土地が広がっています。
それでも尾方さんは山の上に造成された代替地や他所へ移り住むことなく、山から水をひき、カマドを使い、田を耕し、作物を育て、四季に暮らしを合わせたこれまでと変わらぬ自給自足の生活を続けています。
先祖代々にわたって300年以上、この土地で生活できたのも「土」があったからだと、尾方さんは思っています。

新しい住宅が建ち並ぶ高台の代替地は、尾方さんたちが提供した農地の上に造られました。
肥えた土を埋め立てる造成工事の前、尾方さんはいてもたってもいられず、畑の土を袋へ詰めて持ち帰り、村内の寺で供養してもらったといいます。
そのときの土は、いまも大事に保存されています。
土は将来、造成されるという代替農地へ撒くんだそうです。
しかし、その目処はいまも立っていません。

昨年、尾方さんの自宅は、国交省によって強制収用申請が出されました。

ダムがでけんなら、そっちがよか。
ずっとここで暮らしたかですから。

二年前の冬、柚子が転がる自宅の裏山に腰掛け、尾方がぽつりと言った言葉です。

球磨川最大の支流である川辺川は、本流よりも清らかな水がとうとうと流れています。
この川にダムはいらない、そう思います。

2005.6/ 2

ちょい先だけど、告知

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6月10日発売のBE-PAL7月号(小学館刊)に、川ガキが棲む10本の河川がぼくが撮影した写真で紹介されます。
またカヌーイストでエッセイストの野田知佑さんによる「川ガキの育て方」のページでも、ぼくの写真が使われます。
お楽しみに〜

2005.5/10

展示イメージと配置図

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昼過ぎから、ずっとパソコンへ向かっていました。
先日行った「アクアマリンふくしま」との打ち合わせを元に、"展示イメージ図"と"配置図"を新しく作成し直していたのです。
展示コンセプトのことなど、いろいろ考えながらの作業だったため、ずいぶんと時間がかかり、日付を超えてやっと完成しました。
出来る範囲でフォトショップとイラストレイターを駆使し、ほんと疲れたぁ、よぉ。

でも、この"展示イメージ図"と"配置図"は、まだまだ簡略版。
来月には、サイズなどを細かく記した展示設計図を施行業者のために改めて作成しないといけないのです。
で、展示に掛かる費用の見積もりも、明日までに作らないといけなくて…。
うーん。
写真展が始まる前に、バテそうです。

2005.4/21

ある企画で

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ある雑誌の企画のため、ここ数日、各地で撮影した川ガキ写真を見返しています。
改めて見返してみると、今まで気が付かなかった面白い写真を見つけたりするのですが、ついつい思い出に浸ってしまい、肝心の仕事が進みません。

2005.4/19

これからが大変だ

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福島県で取材があり、その日程にあわせ、小名浜にある「アクアマリンふくしま」へ出掛けました。
上野から常磐線に乗って、北へ。
ときおり姿をあらわす太平洋や満開の桜を見たくて、車内ではずっと外を眺めていました。

そして水族館へ到着し、担当者と写真展の打ち合わせ。
ぼくのイメージ通りに写真を設置できるかが、今回の打ち合わせの目的です。
その施行費用や写真を取り付ける構造物の強度などについて話し合い、なんとか希望通りの展示ができそうで、ほっと安心。

さあ、これからが大変だ。
やるべきこと、やらなければいけないことが山積み。

今日はまる一日、パソコンの前に座って、展示イメージ図や配置図作成の予定です。
外はよく晴れ、ぽかぽかとした陽気だけれども…。

2005.4/17

福井新聞社の新春特集号

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昨年末のこと。
大阪の写真展会場で福井新聞社の取材を受けました。
途中昼食を挟みつつ、午前中から始まった取材が終わったのは17時過ぎ。
先方の目的は「川ガキ」だったのですが、川や自然のことなど、けっこう話し込んでしまいました。

その取材の最中。
紙面に掲載する写真を選んでいた女性の記者の方が、そっと涙を流されたのです。
もしかしたらぼくの勘違いかもしれないけれど、その涙に接し、驚くよりも、なんだか嬉しかった。
笑い声が聞こえてきそうな福井の子どもたちの写真を眺め、福井水害の取材や川への想いなど、いろんなことがいっぺんに押し寄せたのかもしれません。

そして今年の元旦に発行された福井新聞社の新春特集号に、川ガキについての記事が3ページに渡って掲載されました。

続きを読む

2005.1/26

“アクアマリンふくしま”で写真展をやります!

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昨日、福島県にある「アクアマリンふくしま(財団法人ふくしま海洋科学館)」から電話がありました。
写真展の告知が解禁になったとのこと。

なので、お知らせいたします。

今夏、7月15日(金)から9月25日(日)の期間、福島県いわき市にある上記水族館にて川ガキ写真展を開催いたします。

あ〜スッキリした。
口に貼ってあったガムテープがやっととれたような、ホッとした感じ。
大袈裟かな(笑)

太平洋に面した小名浜港に建つ「アクアマリンふくしま」は、ガラス張りの素敵な建物をした水族館です。
特徴のある建築もとても素晴らしいのですが、ぼくがいつも感心するのは各展示内容。
国内には大小さまざまな水族館がありますが、ここの展示は子どもたちに対しての環境教育がしっかりとなされ、それが見るものに伝わってくる展示となっています。
この姿勢が「アクアマリンふくしま」の個性といってもいいかもしれません。
そのような水族館にて川ガキ写真展を開催できること、本当に嬉しく思います。

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2005.1/20

2005年、最初の朝日を浴びて

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2004年が終わり、暦のうえで新しい年が始まりました。
年頭の挨拶である「明けましておめでとうございます」という言葉を気持ちの上で使うのに抵抗があるぐらい、昨年は各地で災害が度重なりました。
どれも人ごととは思えません。
豪雨による水害災害や新潟中越地震。
そして現在も混乱が続く、インド洋で発生した地球規模での津波災害。

中央のメディアは“旬”が好きです。
“旬”を伝えることは悪いことではなく、ニュースを選択する苦労があることも知っています。
ただ、日を増すごとに中央のメディアから水害や新潟の地震に関するニュースが姿を消しつつあるなか、自分から意識して情報をたぐり寄せないと「もう終わったもの」として記憶の片隅に置きがちになりやすい。
置くぐらいならまだマシなのかもしれません。得てして忘れてしまう。
水が引き、亀裂が補修され、表面的には回復したように見える場所でも、まだまだ災害は終わっていないのに。
自戒を込めて、そう思います。

さて、ぼくは元旦に青春18切符を使い、小さな日帰りの旅に出ました。
この切符を使うのは、本当に久しぶり。
上野で北へと向かう列車に乗り換え、夜明け前の街を抜けました。
年の呼び名がかわっても、各地を旅する生活に変わりはなさそうです。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

*旧ブログより*

2005.1/ 2

雪だ!

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東京都心に、この冬はじめての雪がやってきました。
朝方はミゾレでしたが、気温が下がり、いまは“ホンモノ”の雪となって降り続いています。

以前、仕事の関係で長野市内に暮らしていたことがあります。
その当時は、冬になると頻繁に雪が降るため、玄関周辺の雪かきが“日常”でした。
また、ずいぶん前のことですが、長野県内の某スキー場でふたシーズン、圧雪車を操作する仕事もしたことがあります。
リフトが止まり、スキー場の営業が終了すると、ぼくらの出番。
圧雪車の車体は乗用車よりはるかに大きくて、前方には雪面を整地するブレイド、後方には鬼の金棒のようなものが回転する装置が装着されています。
それらを上手に操り、デコボコになった斜面を平にしたり、新雪を踏み固めたり、雪が少ないところへ雪を運んだりするのです。
雪が降り続く夜などは、ゆっくりとした速度でゲレンデを何十回と往復し、朝方まで作業を行いました。
ゲレンデが仕事場、そして寮もまたゲレンデのなかにありました。

雪が降ると「雪かき等、普段しなくてもいい仕事」が発生するけど、不思議と「嫌だなぁ」という気持ちにはまったくならなかった。
むしろ胸がワクワクして、楽しくて楽しくて仕方ないっていう感じです。
雪が降ることが珍しくない場所で暮らしていても、いつまでも“非日常”として雪を眺めていられたからでしょうか。

東京の街中は、うっすらと雪化粧。
天気予報だと、明日は快晴になるとのこと。
もう少しこの風景を楽しみたいのに、ちょっと残念です。

*旧ブログより*

2004.12/29

「まほちゃんち」展

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まほちゃんち・水戸芸術館現代美術センター

まだ詳細は発表できないですが、来夏、某所で川ガキ写真展を開催することが決まりました。
この某所での展示は、これまで行った川ガキ写真展のなかで最大規模になる予定です。
そのため新たなプリントの追加を行い、展示写真を増やします。
川ガキ写真展を見るのが初めてではない方も、十分に楽しんでもらえる展示空間を目指します。

いまは日々、その写真展のための展示構想を練っているといったぐあい。

そして今日は、川ガキ写真展のヒントが得られることを期待し、水戸市内にある水戸芸術館で開催中の「まほちゃんち」展へ出掛けました。
この企画展のポスターをどこかのギャラリーで見て以来、心惹かれ、ずっと見たいなぁと思っていたんです。

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2004.12/26

“世代”というキーワード

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エイジ・重松清著・新潮文庫刊

「川ガキ」の撮影を本格的に始めてから、子どもや少年たちの心理状況や、彼らから見た『今』という時代について知りたいという思いが高まっています。
以前は灰谷健次郎さんの小説を好んで読んでいましたが、最近では少年が主人公の小説を多く書いている重松清さんの著作を読むことが増えました。
つい数日前、新潮文庫から出ていた「エイジ」を読み終えたところです。

主人公は、東京郊外のニュータウンに暮らす〝普通のマジメ〟な中学二年生・エイジ。
ある夏、連続通り魔事件が発生し、ついに捕まった犯人はなんと同級生だった—。

と、いう内容の小説です。
読み応えがありました。
少年による信じられない事件が起こるたび、それが唯一のキーワードのように語られる『14歳』という言葉。
その言葉に意味なんかない。

と、いう小説かな。

*旧ブログより*

2004.12/ 9

『遊ぶな危険』の看板のかわりに

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出張が続き、すっかり無沙汰となった更新です。
上記写真は先日、仕事の合間に熊本県西原村にある「阿蘇ミルク牧場」で撮影したもの。

牧場施設内にある小さな池に浮かぶ筏は、牧場スタッフによる手作りの自信作。
浮力体は空になった飼料ケースで、床材は様々な大きさのコンパネや角材などが使われ、そのほとんどが廃棄物の再利用だとか。

この筏、けっして見栄えは良くないけれど、なかなかいい味が出ています。
太平洋を横断するわけでもないですし、かえってこのぐらいの手作り感が子どもの好奇心をくすぐるのかもしれません。
実際にたくさんの子どもたちが筏を見つけると駆け寄って乗り込むほど、人気がありました。

筏の上でジャンプしたり、揺らしてみたり、水しぶきをあげたりする子どもたち。
池の周辺は子どもたちの歓声に包まれ、こちらにもその楽しさが伝わってきます。

時間が立つにつれ、筏の上から誰か落ちてもおかしくないほど、遊びはエスカレート。
万が一落ちても、一番深いところで80cmぐらいしかありません。
浅いところは30cmほど。
それでも池に落ちてしまうかもしれないというちょっとしたスリルが、子どもたちを盛り上げ、興奮させているのかもしれませんね。

*旧ブログより*

2004.11/ 9

冷たい雨のなかで

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取材のため、三日前に自宅を出て、今夜は広島県三次市に来ています。
冷たい雨が朝から降っています。
昼間、そのあまりの寒さに薄いダウンジャケットをシャツの上に着込んだほどです。

新潟も冷たい雨が降っているのでしょうね。
地震から日にちが経つごとに、被害の深刻さや影響が大きくなってきているのを報道で知るたび、なんともやりきれない想いがココロに引っかかってばかりいます。

ここに何も出来ない自分がいます。
昔のようにすべてを放り出し、現場へ駆けつけることをしない自分がここにいます。
「仕事が」「撮影の日程が」を理由(言い訳)に。

今夜、写真展会場で知り合ったある方と、仕事ではなくプライベートで夕食をともにしました。
彼はいま、NPOと役所を橋渡しする部署の仕事をしていて、やはりというか新潟での起こっていることの話もしました。
ボランティアの必要性は当然として、そのコーディネイトの大切さを。

ひとしきりお酒を飲み、その方と別れ、さきほどホテルへ戻ってきました。
そしてテレビをつけ、ニュースを眺めています。
ほろ酔いかげんの、暖かい部屋で。

テレビの向こう側に映る、不自由な生活をせざるしない人たちが、一日も早くこれまでと変わらぬ「日常」に戻ることを願っています。
と、思うしかない自分が、ここにいます。

*旧ブログより*

2004.10/26

ココニシカナイモノ

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熊本県を流れる川辺川を撮影した写真展が、来月末から大阪・心斎橋の「カメラのナニワ」本店5階ギャラリーにて始まります。
タイトルは『ココニシカナイモノ〜川辺川という流れの上に』。
会期は11月26日(金)から12月5日(日)まで。
9月末に熊本県人吉市で開催した同タイトル・同作品による写真展です。

写真展の舞台となる川辺川は、日本三大急流として知られる球磨川最大の支流です。
九州中央部を連なる脊梁山脈・国見岳に端を発する全長62kmの流れは、泉村と五木村を貫流し、相良村にて球磨川本流と合流。
合流点下流には球磨焼酎の産地として人気のある人吉市が広がり、川辺川が注ぎ込んだことで勢いを増した球磨川は、白く泡立つ瀬を繰り返し、不知火海(八代海)へ注ぎます。

ぼくが初めて川辺川を訪ねたのは、10年ほど前のこと。
第一印象は「水量が豊富にある上に、驚くほど水質が綺麗」というもので、俗にいう一目惚れといってもいいかもしれません。
東京から出掛けるには、ちょっと躊躇してしまうほど遠い川ですが、それでも出掛けるに値する川のひとつかなと。

それからというもの、毎年のようにこの川へ出掛けています。
カヌーを漕ぎ、水中メガネをつけて川を潜る。夜は河原でキャンプ。
といった遊びを川辺川でどれほどしたことだろう。
ここ数年は、“川ガキ”や“川を取り巻く風景”の撮影が出掛ける目的になりましたが、川辺川に会いたいという思いは相変わらずです。

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2004.10/26

小さな胸を高鳴らせ、ヒーロになろう!(転載3/3)

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水中メガネ越しに川のなかを眺め、泳ぎ回る魚を見つけては胸を高鳴らせ、その姿を見失うまいと一生懸命追いかける川ガキたち。

そのうち眺めるだけでは飽き足らず、魚を捕まえることに好奇心が移りはじめる。
すると、水中を覗く姿が真剣そのものへと変わっていくから面白い。
川ガキは、魚を捕ってはじめて『立派な川ガキ』といえるのだ。
しかし、最初から簡単に魚が捕れるはずはなく、それが大きな獲物となればなおさら難しい。

目の前を泳ぐ魚を簡単に捕まえることができれば、テレビの主人公のようなヒーローになれる。
でも、捕れない。
魚だって必死なのだ。
やみくもに網を振り回しても、欲しい獲物は手に入らない。
自分の技量にあった魚を狙い、経験を積むしかないのだ。

川底を慎重に覗いていくと、石の間から“テナガエビ”の長いヒゲが揺れているのを見つけることがある。
嬉しくて飛び跳ねたい衝動を我慢し、静かにそっと石を持ち上げ、エビがいるあたりに網をかぶせる。
テレビゲームよりもワクワクする緊張感。

仲間同士で競い合い、獲物が捕れるたびに川面いっぱいに響く雄叫び。
それがおかしくて、網を持つ川ガキを見つけるたびに、ぼくも彼らに交じって、川のなかへ入るのだ。


ママレード6月号より(2003年6月1日発行)より転載

2004.10/26

川のなかをのぞいてみよう!(転載2/3)

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水がゆるみ始めると、我れ先にと川へ飛び込む川ガキたち。

水中メガネや箱メガネと呼ばれる昔ながらの道具越しに広がる、キラキラと揺らめく眩しい世界。
川のなかへ入り、これら光景をいったん眺めてしまうと、川ガキでなくても川遊びの魅力にやみつきになってしまうだろう。

泳ぎながら水中を眺める子がいれば、じっと動かずに眺めている子もいる。
川底を歩く小さなエビや身体のまわりを泳ぐ魚をみつけては、川ガキたちは仲間を呼び、歓声をあげる。
そして、水のなかにもかかわらず大きく口を開けて笑うのだ。

どんなことも最初は小さな好奇心から始まる。
大人だったら見過ごしてしまうような小さな生きものにも関心を持ち、不自然な姿勢でいることすら気付かず、何時間でも水中を眺めている川ガキ。

夢中になって水中を眺めている川ガキを見かけるたび、ぼくはなんだか幸せな気分になる。
「川のなかをのぞく」ことは、特別な川遊びではないけれど、きっとたくさんのことを得ているのに違いないと、ぼくは思うのだ。


写真説明
=====
顔だけを水につけ、同じ姿勢でいること数分間。
そんなに集中していったい何を見ているの?
ぼくも気になって、彼のマネをして水深30センチの川のなかをのぞいてみた。
水面の揺らめきが川底に映り、とても幻想的な光景が目に飛び込んできた。
なるほどこれはキレイだなぁ。
でも、うーん。腰が痛い。


ママレード5月号(2003年5月1日発行) より転載

2004.10/25

“川ガキ”とは一体なんぞや(転載1/3)

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川ガキって知ってる?
と聞くと、たいていの人は「川で捕れる牡蠣(カキ)?」と答える。
でも、それは間違い。
川ガキとは、セミの鳴き声が響く季節になると、『水辺に集まってくる子ども』のことなのだ。

岩や橋から水面に向かって飛び込む子、魚を追いかけるのに夢中になる子、競いあって泳ぐ子など、遊び方は千差万別。
遊び場も一ヶ所ではなく、浅瀬や川の深いところなど、その時の気分で決まる。
夏休みには毎日のように川へ通うから、真っ黒いカラダをしているのが特徴だ。

川ガキが生息しているところには、きまって“かつて川ガキだった大人”がいることが多い。
釣りや井戸端会議をしながら、水辺で遊ぶ子どもたちをニコニコと笑って眺めているのだ。
ときには魚捕りの先生に変身するけれど、いつもはただ黙って見守ってくれている。
「なんだか自分が遊んでいるような気分になれるんだ」
白髪のおじいさんが子どものような笑顔で教えてくれたのが、とても印象的だった。

川から人が遠ざかり、川が忘れ去られようとしている。
都市に限らず、生活のなかで川との接点が希薄になり、川本来の流れを想像することが困難なせいかもしれない。
あたり前のように水辺を遊び場とする川ガキにしてみれば、川を忘れるということはあり得ないこと。
忘れることは、大切な玩具を捨てることと一緒なのだ。

遠い過去の光景ではなく、今もニッポンの水辺に生息する元気な川ガキたち。
そのイキイキとした笑顔に接するたび、大人になって失いかけた何かを思い出させてくれるような、懐かしい気持ちになるのはぼくだけだろうか。


ママレード4月号(2003年4月1日発行)より転載

2004.10/24

転載をはじめるにあたって

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昨春創刊された『ママレード』という雑誌をご存知でしょうか?

3〜6才の子どもを持つ母親が対象読者ということで、育児に関する内容が大半を占める雑誌です。

子育て中でもお洒落をしたいし、美味しいものを食べたい。
母親たちのそんなあたり前の欲求を満足させるべく、その手の情報を紹介する一方、親子で自然と関わる面白さや大切さをテーマに掲げた雑誌です。

自然から離れたところで子どもを育てることに、漠然とした不安を感じる母親が少なくないといいます。

だからなのかもしれません。
創刊にあたって、“川ガキ”のフォトエッセイの連載依頼を受けました。

答えはもちろん「やります。やらさせていただきます!」。

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2004.10/24

あと何人自殺したら工事を止めますか

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九州に来ています。
昨日、久しぶりに諫早湾を眺め、普賢岳の麓を歩きました。

諫早湾が潮受け堤防で閉め切られてから8回目の秋。
堤防の内側、潮の満ち引きがなくなった土地にセイタカアワダチソウが広がっていました。
風に揺れ、ざわめく黄色の花々。

今年も、もうじき海苔養殖の季節がやってこようとしています。

当初から危惧された諫早湾閉め切りによる漁業への影響は、年を追うごとに深刻さを増し、いまや堤防の外側に広がる有明海は瀕死に近い状況だといわれています。

今年7月。
承諾殺人罪に問われたある男性の判決が福岡地裁久留米支部で言い渡されました。

有明海で海苔養殖を営んでいた男性の裁判です。
男性は借金苦から母親との心中を決意し、自宅隣の作業小屋で母親を殺害した罪に問われていました。

母親は殺害前、男性に「お前とならよかよ。父さんの借金ば、担がせてごめんね」と語ったそうです。
そして息子に首を切られ、失血死で亡くなりました。
後に続こうとガソリンを浴びた男性は、100円ライターを握りしめたものの、子どもの顔が頭に浮かび、手が震え、どうしても火をつけることができなかったといいます。

海苔の不作が続き、漁具購入等で借り受けた資金返済の目処が立たず、働いても働いても苦しくなる生活に絶望した末の行動と、判決にはあります。

検察側の求刑は懲役5年でしたが、判決は「懲役3年・保護観察付きの執行猶予5年」。
窮状に理解を示し「同情を禁じ得ない」という言葉で、ひとつの裁判は終わりました。

約4000人もの有明海漁民が「不作が続き、多額の借金を抱え、将来が見えない。今回の事件は他人事ではない」と、男性に対して寛大な判決を求める嘆願署名を提出したことも判決に影響したのかもしれません。

東京新聞(2004.8.28付)の記事によれば、有明海周辺では干拓事業開始後に70人が自殺し、影響の大小こそあれ、漁業不振は無視できないほど深刻な影を落としています。

「あと何人自殺したら工事を止めますか」

海苔不作に代表される漁民の度重なる訴え。
そのあまりにも悲痛な言葉に、おもわず息が止まります。

事業の中止、水門の開放を求める漁民の声に、政府は真摯な態度で耳を傾けてほしい。
そしてこのような悲劇を繰り返さぬ決断をしてほしい。
切に、そう願います。

*旧ブログより*

2004.10/16

カーテン越しの…

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鳥取と岡山をぐるっとまわり、昨夜遅く帰宅しました。
“川ガキ”ネタではないけれど、「懐かしい感覚」繋がりということで、旅先で見かけた光景を紹介します。

始発駅となる津山駅で、岡山行き列車へ乗り換えたときのこと。
二両編成のディーゼル列車に乗り込んだものの、出発時間までだいぶありました。
乗客は、部活帰りらしい学生や買物帰りの家族、ほんのわずかな旅行者の数人のみ。

退屈を紛らわすため回りを見渡すと、向かいのボックス席でお菓子を食べていた二人の中学生が、慌ててカーテンを閉めるのに気付きました。

どうしたんだろう?と興味津々に観察すると、彼らはカーテンをほんの少しだけ開けて、窓の外をのぞきはじめたのです。

その後ろ姿は怪しさを通り越し、けっこう笑えます。
で、そのときパチリと撮影したのが、上の写真。

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2004.10/12

一寸法師

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今から5年程前。
九州の某川で、ひとりの男の子と出会いました。
某川をカヌーで下る旅をし、終点となる川岸にその子がいたのです。
人見知りをまったくしない、小学生になったかならないかぐらいの子どもでした。

その子は、上流から流れてくるカヌーを見つけ、急いで川岸へ降りてきたといいます。
そしてぼくが上陸し、カヌーを岸にあげて後片付け作業を始めると、近寄ってきたのです。

「どこからきたと?」
「それは何に使うと?」

こんな質問をたくさんもらい、楽しい会話をしたのを覚えています。
で、最後には「カヌーに乗せて欲しいなぁ」。

大人はけっこういい加減な返事で、その場を誤摩化したりするもの。

「そうかぁ。でも、もうすぐやってくる列車で帰らないといけないから、今度会ったときに乗せてあげるよ」

本気で次に会ったときに乗せようとは、恥ずかしいけれど思っていませんでした。
そもそも、次があるかどうかさえ怪しいものだった。
誰もが思いつく、その場限りの簡単な嘘。


先日、偶然にもそのときの男の子と再会しました。
その子のお母さんが、ぼくの写真展を見に来てくださったのです。
お言葉に甘え、その日の晩は男の子の家に泊まることに。

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2004.10/ 7

旅する木

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夜明け前。
台風が過ぎ去った空に、大きな満月が浮かんでいた。
東の空が赤く染まりはじめ、夜が明けたことを知った。
無数の流木が川面を漂い、いくつかの川舟が岸辺へ打ち上げられていた。
普段とは違う吉野川を前に、少し興奮しながら堤防沿いを歩いた。

川を伝い海に流れては知らない土地へ旅する、流木という漂流物。
それら流木は、旅する木。
知らない土地へ流れゆき、土になるのだろうか。

*旧ブログより*

2004.10/ 5

とんだ一日の終わりに。

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荒れ狂った台風も徳島上空を通り過ぎていき、いまは風も雨もやんでいます。
月に照らされた雲が流れていく様が、なんだかなまなましい。

昨夜宿泊したホテルがいっぱいだったため、今夜はビジネスホテルと比べると少し割高なホテルにチェックインしています。
客室でLANが使えるという条件のみで、このホテルに決めたんですが…。
だけど困ったことに、ほんと些細でみみっちいことなんだけど缶ビールが高いんです。
350ml缶で、税別450円ナリ。
近くにお酒を扱っているコンビニがなかったので、今夜は酒抜きだなぁと思っていたんだけど…。

明朝は、4時半起床。
だけど、いっこうに眠くならないんですよ。
「これはある意味、酒の力が必要なんじゃないか」
そう思うことにして、結局一本飲んじゃいました。

しかし、貴重な一本だからとチビチビ飲んだのがいけなかった。
そんな飲み方でビール飲んでもぜんぜん酔わないし、眠くならないんですよね。
目的果たせず。

徳島には「吉野川みんなの会」という名前のNPOがあります。
住民が主体になって、吉野川の将来像を研究し提言を行うために設立された市民団体です。
今夜、その会で有給スタッフをしている友人に足止めをくらったことを伝えると、吉野川がかなり増水しているので、川を見に行こうと誘われました。
とりあえず見ておかないといけない気がしたので、明朝ふたりで見に行くことに。

それで4時半起きです。
徳島空港発の始発便で東京へ戻らないといけないので、ちょっと無理しちゃいましたね。
羊を数えてみたりしたけれど、いまもまだ目が爛々と輝いています。

もう一本飲もうかしら。
でも、450円(税別)は、ちと高くないかい。
あー、もうこんな時間だ。

*旧ブログより*

2004.9/30

とんだ一日。

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取材のため、昨日から四国へ来ています。
昨日は高知県本山町で仕事後、高知市内から徳島市内へ高速バスで移動。
今日は徳島市に近い板野町で人物取材を行いました。
予定では取材後、徳島空港から帰京するはずだったのですが…

徳島発の飛行機は、午後になって全便欠航が決定。
ならば、バスを使って神戸に渡ろうとバス亭へ向かったものの、その数分前に鳴門海峡大橋が通行止めのアナウンス。
ならばならば、通行可能な瀬戸大橋を使って岡山へ行こうと、今度は徳島駅へ向かったところ、高松方面の列車がこれまた運休。
一応、こういう事態を警戒して取材の時刻を早めたんですが、間に合わずにすっかり足止めです。

普段、あまり意識することないけれど、四国も「島」なんですね。

仕方なく徳島駅に近いホテルへチェックインし、テレビのニュースを見ています。
窓の外は、大粒の雨が塊になって空を舞っています。

とにかく水害や土砂災害のないことを祈るのみです。

*旧ブログより*

2004.9/29

川辺川という流れの上に

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いま、熊本県人吉市にある「ひとよし森のホール」にて、ぼくの写真展が開催されています。
タイトルは「ココニシカナイモノ」。
人吉市のすぐ脇を流れる川辺川が、今回の写真展の舞台です。
会期は10月3日(日)、PM5時まで。

清冽な流れのなか、水飛沫をあげる子どもたち。
きらめく水面に跳ねる鮎の姿。
雨が降り、わきたつ雲。
風に揺れる樹々、花咲く緑に響き渡る鳥の声。
川の流れとともにある、春夏秋冬。

身近にある風景、何気ない景色のなかにある、ここにしかないもの。
大事にしたい風景や大切な思い出。
ひとりひとり表情が違うように、大切なものも人間の数だけある。

そんな自分だけが感じる大切なものを再発見するお手伝いができれば、こんなに嬉しいことはありません。

*旧ブログより*

2004.9/27

空を見上げ、草むらへ

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東京の山手線車内で、こんな会話を聞いたことがあります。

「最近、カエルって見ないよなぁ」
「少なくなったよねー」
「子どものころは、たくさんいたのに」
「カエルだけでなく、虫とかも最近見ないね」
「いなくなったんじゃないの」

話をしていたのは20代前半の男女ふたり。
カエルの写真が印刷された中吊り広告を見つけての会話です。

ぼくが子どもだったころ。
行動範囲と呼べる場所は、通学路や自宅周辺などがせいぜいでした。
それでも面白いのが、そんな身近な場所でも十分に驚く発見があり、出会いがあった。

今とは比べ物にならないくらいの集中力と時間を使い、生きものを探し遊んだ子ども時代。
なんでもない空き地で、飽きもせずに終日を過ごすことだってできた。
手の届く範囲がすべてだったけれども、その範囲においては、大人顔負けの世界の広さがあったと思います。

大人になった今。
いないと感じたのは、見つけることをしなくなっただけ。

カエルがいなくなったのではなく、カエルのいる場所に出掛けていないだけ。
トンボが少なくなったのではなく、空を見上げる時間が減っただけ。
バッタがいなくなったのではなく、草むらへ近づかなくなっただけ。

生きものの存在に気が付かなくても生活はできるけれど、そういえば最近見なくなったぁと思ったら、探してみることをお勧めします。

*旧ブログより*

2004.9/20

理解する努力を続けるということ

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ぼくがそのニュースを知ったのは、山陰の小さな駅舎にいるときでした。
誰もいない待合室でぽつんとひとり、古びたテレビが伝える長崎県佐世保発の映像を眺めていました。
天井から吊るされたテレビに、闇に染まる小学校が映っていたのが印象的でした。
なんだかひどく気が重く、駅へ到着した折り返し列車に、足を引きずるように乗ったのを覚えています。
ほかに乗り込む乗客の姿はなく、寂しい車内のなかで、どうしてそんなことをしてしまったのだろうかと、そんなことばかり考えていた気がします。

あの日から、3ヶ月と少しの月日が過ぎました。

そして昨日、家裁へ送致された女児の保護処分が決定されました。
行動の自由が制限される児童自立支援施設で今後2年間、保護観察下におかれるという決定が。
刑事責任が問えない14才未満では、最も厳しい処遇らしいです。

新聞報道によると、女児はいまも事件の重大性を実感できずにいるといいます。

カッターで切られると痛いことは知っているし、血が出ることも知っている。
人が死ぬということも、知ってはいる。
大切な人がいなくなると、人が悲しむことも知っている。
それがいけないことだということも、もちろん知っている。

こんなことは子どもでも知っていることです。

でも、知っているということは、理解していることではない。
と、今回の事件で思います。
11才。幼いといってしまえば、それまでかもしれない。
でも、だからって、なぜ同級生の命を奪ってしまったのか。

被害者の父親が書かれた手記を読みました。

「子どものすべては理解できないと分かったうえで、理解する努力を続けてください。それぞれの家がそれぞれのやり方で」

大人へなれば、すべてを理解できるようになるとは限りません。
本当の理解とは、自分の頭で考え、苦労することで得るもの。
ぼくら大人たちもまた、女児が突きつけた「なぜ?」を理解する努力が必要なんだと思います。

*旧ブログより*

2004.9/16

自然のなかで遊ぶということ

“川ガキ”の撮影を本格的に始め、今年で7回目の夏が過ぎました。

この間、たくさんの子どもたちと出会い、話を聞き、ときには一緒に遊び、写真を撮ってきました。
それでも、まだまだ撮り尽くしていないというのが実感です。

身体全体で水辺での遊びを楽しんでいる“川ガキ”の世界を伝えることで、川に関心を持つ人が増えるかもしれない。
撮影を始めた当初は、そう思いました。

でも、いまは別のことを考えるようになりました。
山であれ、海であれ、自然のなかで子どもが遊ぶということは、どういうことなんだろうと。
子どもを巡る暗いニュースに触れるたび、“川ガキ”たちの笑顔を思い出します。
そしてつい、ニュースの先にいる子どもたちと比較してしまう。

なんとなくわかったものもあるけれど、実はわかった気になっているだけかもしれません。
だから来年もまた、各地の川へ出掛けるつもりです。

*旧ブログより*

2004.9/15

なぜ、川ガキなんですか?

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なぜ、川ガキを撮っているのですか?

写真展会場などで、この質問をよく受けます。
移動写真展について書く前に、この“なぜ”について触れたいと思います。

今から15年程前。
ぼくは水面を自由に移動できるカヌーという乗り物に出会い、川で遊ぶ楽しさを知りました。
カヌーでの川旅は、テントや寝袋など必要最小限のものを舟に積み込むところから始まります。
そして自分の腕だけを頼りに、流れへ乗って川を下る。
気に入ったところがあれば上陸し、テントを張る。
のんびりとキャンプする贅沢をも味わう。
それは今まで経験したことのない旅のカタチでした。

カヌーに乗ると、水面から50センチの高さで世の中を眺めます。
視界を占めるのは、川幅いっぱいの流れと、広い空。
日常の視点とは違う、そんな世界もまた魅力です。

川旅を重ねていくうちに、川を「線」として見るようになりました。
ニッポンの川にはダムや堰が至るところにあります。
カヌーで川を下ろうとする者にとっては、その姿を見つけるたびにユウツになります。
ダム自体が障害物となり、川を下れないのです。
またそれが発電用ダムの場合、その下流に水がないことも珍しくはありません。
上流から河口まで、すべての行程を下れる川は意外と少ないのです。

と、いうことに、少しずつ気付いていきました。
計画中のダムや堰に反対する活動へ参加し始めたのは、ちょうどその頃からです。
川がほんとに好きになったのかもしれません。

写真を撮ることが生業になってからは、しぜんと題材にダムや堰などを扱うようになりました。
でも、ふと思ったんです。
共感を得るには、入口は広い方がいいのではないかと。

ぼくのまわりには問題となっているダム事業を理論的に調査し、現場で闘っている方々が「この事業は必要ない」と胸を張って言えるデータを提供する人たちがいます。

役割分担。
と、思っているのは、ぼくだけかもしれませんが。
そしてぼくは“川ガキ”を撮ることを始めたんです。

ぼくの写真を見て、川を身近に感じてくれたのなら、どんなに嬉しいことか。
川が好きになり、気付いて欲しい。
日本の川の現状を。

*旧ブログより*

2004.9/14

Traveling Gallery

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写真展会場へ足を運ぶ側がひとりひとり求めるものが違うように、写真展を企画する側もまた、展示へ寄せる想いや目的はそれぞれ違います。

悲惨な現状を伝えることを目的に写真展を企画される方もいるでしょうし、写真から安らぎを感じてもらうことを目的に掲げる方もいるでしょう。

しかし、これまでの写真展といえば、目的や想いはそれぞれ別モノなのに、肝心の写真を展示する「場」はいつもと同じ、ごく限られた場所と空間。

そして残念なことに、写真展へ足を運ぶ人もまたいつもと同じ、ごく限られた人たち。

もちろん、これがすべてだとは思っていません。
幅広い世代に愛されている写真家の展覧会は写真を十分に鑑賞できないほど混雑し、まるで駅のホームのように様々な人の姿がある。

それでも、やはり思うのです。
写真はまだまだ、ごく限られた人だけが見に来るものと。

“川ガキ”の写真展示を思い立ったとき、まず頭に浮かんだのは、写真を見てもらいたい人たちの姿でした。
それは“川ガキ”と同世代の子どもたちであり、子どもを持つ母親や父親であったりと、むかし川で遊び育った世代にも見てもらいたいとも思いました。

とにかく、どのようにすれば、ぼくの願う人たちが写真を見てくれるのか。
しばらくはそのことばかり考えていました。

そして、あるとき思ったんです。
写真展会場に来てくれることを考えるのではなく、自分から写真を持っていけばいいんだと。
写真を展示する「場」はけっしてギャラリーだけではないんだと、ぼくにとっては眼からウロコのドキドキする発見でした。

そしてトラベリングギャラリー(Traveling Gallery)と名付けたぼくの移動写真展が始まったのです。

*旧ブログより*

2004.9/13

水遊びではないけれど

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昨日に引き続き、今日も休日。
午後は自転車に乗って、近所を流れる荒川へ。
広い空って、気持ちいいですね。
堤防に寝転んで、しばらく空を見上げてました。
この空間、けっこう気に入ってます。

*旧ブログより*

2004.9/12

はじめまして、そしてコンニチハ

2003年の夏から、“川ガキ”を被写体とした写真展を本格的に開催し、いまに至っています。

“川ガキ”とは、淡水に生息する牡蠣ではなく、水辺で遊ぶ楽しさを知っている子どものこと。

梅雨が明け、入道雲が浮かぶ空の下。
セミの鳴き声とともに川へ飛び込み、大きな歓声と水飛沫をあげる子どもたち。
小さな者は岸辺の岩から、大きな者は勇気を出して橋の上から川面へジャンプ。
都会では見かけることが少なくなったこんな光景も、都会から少し足を伸ばすと、まだまだ日本の風物詩として見ることができます。

そしてまた身近に綺麗な川が無くても、釣竿やタモ網を片手に生きものを追いかけまわす面白さを知っている子どもも、立派な“川ガキ”。
季節や居住環境に関係なく、子ども本来の探検ココロで発見した近所の水辺環境で十分好奇心を満足させている子どもは、みんな“川ガキ”だと思っています。

とかく大人は珍しい生きものや貴重な清流を求めがちになるものですが、身近にある何気ない小さな池や川にこそ、「川ガキの素」がいっぱい詰まっているような気がしています。

2003年に開設した『川ガキ写真展サイト』が情報ステーションとしたら、ブログは写真展会場にある感想ノートのような雰囲気になればいいなと思っています。

年間出張200日という、ほとんど旅の空を見上げている生活のため、更新やコメントへの返事が思うように出来ないかもしれませんが、これから“川ガキ”のことや野外写真展のこと、ニッポンの水辺環境について、少しずつ書き始めていくつもりです。

写真展の感想や励まし、または作品への厳しい意見などを遠慮なくコメントとして書き残していただけたらと思います。

どうぞ宜しくお願いいたします。

*旧ブログより*

2004.9/11

再び郡上八幡へ

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郡上八幡での写真展設営後、青森県弘前へ四日間取材に出掛けていました。
いまは東京で仕事をしています。
写真展が始まってから早いもので、もうじき二週間。
今週木曜日から、再び郡上八幡へ向かいます。
金・土曜日は吉田川沿いにある「中河原公園」にてキャンプの予定。
日曜日の夕方からは「いがわの小径」で展示写真の撤収作業を行います。
設置と違って、なんだか寂しさが漂う作業ですよね。
撤収って。
飛び入り参加を歓迎します。
もしよろしければご参加ください。

*旧サイトより*

2004.8/17

郡上踊り

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日本三大踊りのひとつに列ねている「郡上踊り」は毎年7月下旬からはじまり、8月下旬まで町内各地を移動しながら毎晩のように続きます。
お盆期間の4日間は「徹夜踊り」と称し、朝まで踊り明かします。
8/15の終戦日にも踊りがあったほど、「郡上踊り」は生活の一部みたいなものなのだとか。

と、地元の方が教えてくれました。
それでも最近は踊りに参加する地元の人が少なくなったそうです。
親が参加しないがために子どもの姿が減り、寂しいとも。

そんななか、昨年から子どもたちを対象にした「子ども踊り」が始まったそうです。
偶然、写真展の会場でこの企画を立てられた方の話を聞きました。
「セミの鳴き声が響く頃、大人になった子どもたちにとって故郷とは、踊りを遠くにありて思うより、踊りに帰るものだと思ってほしい」。

なんとも羨ましいなあ。

*旧サイトより*

2004.8/16

いがわの小径

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すべての設営が無事に終わり、本日より郡上市八幡町「いがわの小径」での写真展が始まりました。
この用水路沿いの小径は、地元の方はもちろんのこと、観光の方にも人気のあるところ。

朝、ラジオ体操帰りの親子が写真を指差し、笑いながら通り過ぎていくのを見つけました。
また町外から川遊びに来た茶髪の若者たちが「来年は俺たちの写真があるかもな」と嬉しそうに写真を眺めていました。
地元のおばあさんが目を細め、写真のなかの子どもの笑顔を見つめていました。

生活に近い場所で写真を展示することで、普段ギャラリーへ足を運ぶことが少ない人たちも写真を楽しむことができるんですよね。
ぼくがやりたかった展示が、ここ郡上八幡で実現したかもしれません。

その気になれば、大人だって子どもだって、川ガキになれる。
写真展のすぐ脇を流れる吉田川には、川へ飛び込む子どもたちの歓声が響いています。
写真展鑑賞後はぜひ、川の流れに足を浸してみてください。
きっとしぜんと頬がゆるみますから。

*旧サイトより*

2004.8/ 9

設営二日目

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写真展設営二日目。
だんだん写真展らしくなりました。
夕方、福井市内から山田健太郎さんが遊びに来てくださったのですが、ついつい作業をお願いして…。

健太郎さんは昨年福井県内で開催したすべての写真展設営をサポートしていただいた方で、一級建築士という肩書きを持っています。
カヌーイストでもあり、渓流釣りもする健太郎さんも、かなりの「川好き人」。
自身のブログだけでなく、専用ブログを立ち上げ、現地から福井豪雨災害に関する情報を発し続けています。

写真展はけっしてひとりではできません。
支えてくれる人たちがいるから出来るのだと、改めて思います。
ヤブ蚊に囲まれ、汗で背中をびっしょり濡らしながらの作業にも、嫌な顔をせず手伝っていただき、本当にありがとうございました。

*旧サイトより*

2004.8/ 8

郡上八幡到着

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途中休憩を挟みつつも、早朝には郡上八幡へ到着。
二週間前に郡上八幡を訪ねた際は美山町へ行くことも考え、250ccのスクーターバイクを使ったのですが、やはり車の方が断然楽ですね。
前回の移動でひどく疲れのは、"年のせい"だと思っていたので、なんだか安心しました。

郡上八幡へ到着早々、山田雅志さんが事前に用意してくださった竹を使い、設営開始。
山田さんは昨年美山町で開催した野外写真展に郡上からお孫さんを連れて見に来てくださいました。
そして今回、この町で写真展が開催できたのは山田さんと知り合えたことが大きいと思っています。
山田さんを紹介してくれた友人、そして山田夫妻にはものすごく感謝しています。

*旧サイトより*

2004.8/ 7

いってきます〜

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レンタカーへの荷物積込みも終わり、これから郡上八幡へ向けて出発します。
7・8日は、展示写真の設置作業をする予定。

「いがわの小径」で写真を鑑賞していただくためには、写真をつり下げる必要があることから、竹を使って垣根のようなものを作ろうと考えています。
だけど果たして上手に出来るだろうかと、実はちょっと不安だったりします。
でも何事も経験。
設営自体を楽しもうと考えています。

今回の滞在は吉田川下流・右岸の仲河原公園でのキャンプ。
それも楽しみのひとつかな。
では、いってきます。

*旧サイトより*

2004.8/ 6

パンフレット

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写真展案内パンフレットが、やっと完成しました。
本当は一ヶ月以上前に印刷を済ませ、各マスコミや写真ギャラリー等を中心に案内を出すべきでしたが、あまりの忙しさに作業を進めることができませんでした。

反省。

それでもオープニングに間に合ってヨカッタ。
郡上八幡の主要なところへ置いてもらうため、写真展設営の合間にパンフレットを持って町を歩く予定でいます。

このパンフレットを作成してくれたのは、AXERA.incの渡邊誠さん。
毎回、急なお願いにも関わらず素敵な仕事でアッといわせてくれる、信頼できるデザイナーです。
渡邊さん自身も「川」が大好きで、そのことも仕事をお願いする大きな理由かもしれません。

*旧サイトより*

2004.8/ 5

渋谷での写真展終了

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日曜日の夜。友人に協力していただき、写真展の撤収作業を終えました。
作業を手伝ってくれたThink the Earthスタッフ、モンベル関係者はもちろんのこと、足を運んでくださった皆様に本当に感謝しています。
感想ノートを拝見し、「川へ行きたくなった」という言葉を見つけるたび、メッセージが伝わる喜びを味わっています。

来週からは、いよいよ水の都・郡上八幡で写真展が始まります。
室内から野外へ飛び出し、太陽を浴びての野外展示。
今度はどんな出会いがあるのだろうかと、今から期待で胸を膨らませています。

*旧サイトより*

2004.8/ 3

感想ありがとうございました!

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東京・渋谷の東急ハンズ前にある「モンベルクラブ渋谷店」において、7月17日から開催していた写真展も、今度の日曜日が最終日となりました。
連日の猛暑のなか、会場へ足を運んでいただいた方々には本当に感謝しています。
また感想ノートへ記入していただいた方、本当にありがとうございます。
寄せられたメッセージを読まさせていただき、「あ〜、やってヨカッタなぁ」と元気をいただいています。

*旧サイトより*

2004.7/29

郡上八幡から美山町へ

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再来週から始まる写真展の準備と打ち合わせのため、先週末は郡上八幡で過ごしました。
そしてその後、水害の被害を受けた美山町へ立ち寄りました。
家屋や田畑が土砂に埋まり、声も出ないような悲痛な空気のなか、たくさんの若者たちが駆けつけ、汗を流している姿が唯一の大切な希望に思えました。
先週末は合計1万人以上の方々が各地から駆けつけ、ボランティアとして復旧作業に参加されたそうです。
それでもまだまだ十分とはいえず、現在も人手がいくらあっても足りないという状況です。
昨夏、写真展の会場として利用した河原は大きく変貌し、その写真展へ遊びに来てくれた地元の川ガキたちのなかには家屋が流失した子がいると聞いています。
一刻も早い復旧を心からお祈りするぐらいのことしか出来ず、なんともやりきれない思いです。

*旧サイトより*

2004.7/28

サンデー毎日に

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本日発売の「サンデー毎日」誌のグラビアページに川ガキが登場しています。
『川ガキの夏』というタイトル通り、夏を満喫している子どもたちが主人公。
オリャ〜〜という叫び声が聞こえてきそうな最初の写真は、高さ11メートルの橋から飛び込む川辺川産川ガキです。
暑さに負けず、元気いっぱいで遊ぶ子どもたちの姿をぜひご覧ください。
鈴木杏さんの表紙が目印です。

*旧サイトより*

2004.7/27

被災お見舞い

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今回の日本海沿岸での集中豪雨によって被害にあわれた皆様の一刻も早い復旧をお祈りし、お見舞い申し上げます。
一時間あたりの雨量が80mm以上という異常ともいえる天候だったとはいえ、報道から知るその被害の深刻さに声が出ないほど驚いています。

そして今回の豪雨によって深刻な被害にあわれた福井県美山町蔵作は、昨年8月に野外移動写真展を開催したまさにその現場であり、開催から一年が過ぎた今でも、その時の経験や出会いは昨日のことのようにぼくの身体に染み付いています。

さらに昨年この写真展に手弁当でサポートしていただいた方のなかにも直接的な被害を受けられた方がいると聞き、テレビや新聞の向こう側の出来事ではなく、とても身近なこととして心配しています。

「こんな文章を書いている暇があったら、つべこべいわずスコップを握りしめて駆けつけてこい」とお叱りを受けるかもしれませんが、書かずにはいられなかったのでこのページを作成しました。
現地から届いた情報や報道などで知り得たボランティア募集等を本当に十分とはいえませんが以下にリンク(現在はボランティア募集終了のため、転載にあたってリンクは見合わせました)しておきます。この他にも紹介した方が良いと思われるサイトや情報等をご存知の方がいましたら、また見つけた方は、ぜひご連絡をお待ちしております。宜しくお願いいたします。

一日も早く、災害前の日常を皆様が取り戻せることを切にお祈りしております。

*旧サイトより*

2004.7/22

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